小さい頃から感じていた違和感「なんで人は働くのか?」について、現状の私の解釈を解説します。
まず、暇だからです。何もしていない時間に耐えられないように、日本人はプログラムされています。
文科省が出しているプログラムを達成しないと、と必死に教師たちが子供達を急かして、急ぐということを教えます。
つまり、暇を楽しむという時間を与えないようにします。
すると、古来から日本人が本来持っている能力が閉じます。
日本人が古来から持っている能力とは、宇宙と繋がることです。
虫の知らせを聞いて、自然と会話して、大地を感じて、幸せに生きていくために必要なことを全て自然が教えてくれるための、受容体を持っているのです。ここでの「幸せに生きる」というのは、現代の資本主義的な典型イメージの幸せではないかもしれません。私の中でのイメージは、もっと温かくて、地球に守られ/守っている感覚に包まれるような生き方のイメージです。
しかし、この能力は暇じゃないと受容体が開きません。
つまり、忙しくすることによって、幸せに生きるためのメッセージを受け取るメールボックスを閉ざしている感じです。
仕事で忙しい、疲れた、という感覚が、本来のメッセージを受け取れなくしていると思っています。
ですが、実際資本主義のルールの中で生きているので、お金は稼がないといけませんよね。
もし仕事が辛い、嫌だ、と感じているなら、仕事に対する捉え方を変えるだけで幸せに働くことはできるんじゃないかなと最近思っています。
何のために働いているのか、目の前のことにフォーカスするのではなくてもっと大きな視点を持って見てみる。
家族と仲良く暮らすためなら、そのビジョンを描いてみる。家に帰ったら「ただいま〜!」と挨拶して、手を洗って、お気に入りのタオルで手を拭いて、家族との時間を楽しむ。その中で、今できることは何か考えてみる。例えば最近「ただいま」と言っていないなと思ったら、ちゃんと言ってみる。テキトーなタオルを使っているなと思ったら、好きなタオルを見つけて使ってみる。そんな小さなことでいいんです。描いたビジョンの中の、どんな細いことも取りこぼさずに、できる範囲だけで再現してみて、ちょっとした幸せをどんどん集めていくと人生は変わります。
そして大きな目標を忘れずに、日々作業してみる。そのほうが働いているという感覚も薄れるし、何より仕事がラクになります!
最近は、このように「働く」というイメージの固定概念をちょっとずつ壊してみています。
私の中の「働く」というイメージは、満員電車に乗って体力が削られて、家に帰ったら何もできなくて、いつも「もうやめたい」と言っているイメージでした。
でも、もしそうであっても、幸せにも生きられるんだと気づいたんです。それはやはり物事のどんな階層を見ているかで変わってきます。大きな目標を忘れずにいれば、どんなことだって楽しめる。本当に嫌なこと、乗り越えられないことは人生には起こらないと知ったからです。
※これは資本主義の中で生きていくことはできないよ!という意味ではありません。0か100かではなく、50:50くらいに中和できたら私は幸せだなぁ、というのをメモしている状態です。これを読んで、そういう考え方もあるんだな〜と思っていただけたら幸いです!
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